わが社の歩みと目指すところ

【株式会社菊川の歴史】

 株式会社菊川は100年以上の歴史をもっております。

 

〔大正初期〕

創業者の菊川梅吉は飾り職人出身で、今の墨田区界隈で装身具類の製作をしておりました。当初は、主に銀製の鎖類の製作を得意としており、例えば、服部時計店(今のセイコー)に懐中時計用の銀の鎖を納品しておりました。業容の拡大に伴い、自社に多くの職人を抱えるようになりました。そのころから、鎖だけでなく、さまざまな装身具類から仏像などの工芸品まで、扱い品目も幅広くなっていきました。

 

〔昭和10年代〕

息子の菊川豊も加わり、それまでの家内工業から会社と呼べるような組織へと成長してまいりました。

 

〔昭和16年前後~終戦〕

太平洋戦争突入の昭和16年前後から、奢侈禁止という雰囲気のなか、業容は急激に縮小し、最後には休眠状態のまま、終戦を迎えました。

 

〔戦後〕

再度製造会社を復興させ、占領軍相手に、銀の洋食器などを製造販売しました。

 

〔昭和30年代〕

二代目社長の菊川豊は特に販売(卸/小売)の拡大に努め、昭和30年代初期には、百貨店に装身具類を卸すことができるようになり、その後様々な百貨店相手に売上を伸ばしていきました。

 

〔昭和40年代〕

日本の高度成長とともに、金の小判や仏像、茶釜など、金・銀の工芸品を百貨店ルートで拡販し、売上も大きくのばすことができました。 

 

〔昭和50年代〕

金の取引自由化にともない競合相手も増えたため、販売ルートの選択と集中に努め、百貨店も松坂屋グループを中心といたしました。百貨店店舗内に、自社の販売スペースを確保し、そこに自社の販売員を派遣し、自社の商品をお客様に販売するという、小売の売り上げが大きく伸びた時期でした。 

 

〔昭和60年代~平成〕

現社長の菊川和伸が、海運会社から転身して営業として参加し、百貨店の外商部門の売上を大きく伸ばし始めた時期でした。それまでの地金関係の製品の製造/販売だけでなく、宝飾品や宝石類の販売にも傾注し、会社の売り上げが一気に伸びました。社員数も大きく増え50人程度までに増加しましたが、バブルの崩壊により百貨店業界も前年売上を大きく下回る環境下、百貨店自体が次から次へと閉店するという時期に入り、わが社も大規模なリストラを余儀なくされました。 

 平成23311日の大震災が業績のボトムとなりましたが、社員全員が危機感を共有して頑張り、それ以降は、急激な業績の回復をしております。 

 

〔現在〕

社員を大幅に増やして、売上拡大、利益拡大に努めております。また、お客様も、百貨店の店頭のお客様から百貨店外商部の富裕層のお客様、百貨店の法人外商部のお客様(含むTV通販)、一般の会社など、幅広い層に拡大しております。

 

【今後目指すところ】 

 百貨店を中心としたビジネスに人、モノ、資金を集中させ、競合他社を圧倒する販売力を持つことが、当面の目標です。そのために、他社に負けない商品力を持つために海外からの直接仕入も含め、常に開いた目を持つように努力しております。また、コアビジネスを百貨店ビジネスとしながらも、将来への飛躍のためにタイやミャンマー等の新興国へ日本の宝飾品を販売することが必要と考えております。 

  そのためには、何よりもビジネスを支える人材の教育と発掘、登用に努めていきたいと考えております。2020年の東京オリンピックまでにこの夢を実現するべく、わが社全員の力を合わせて、一丸となって、邁進していきたいと思っております。